【2022/05】コラム
4月、5月と様々な物が値上がりしていて、食費に結構影響が出始めています。
油などたまに買うものでストックできるものは、まだ買うタイミングや量を選べますが、
野菜などは買い置きしておけませんから、
玉ねぎなど幅広く使える材料の値上がりによって、影響を受けているご家庭は多いのではないでしょうか?
本来ならば新たまをまるごとたくさん使った美味しいスープなどが楽しめるところですが、
我が家では人数が多いのでそうそう多用できないのが残念ではあります。
円安の影響で肉や魚の価格にも影響があることも加えると、
今までと同じ物を同じ買い方をしていると、
しばらく食費がかさむことに繋がってしまいます。
作れるメニューが限られると、使える材料もそれだけ狭まってしまうことになりますので、
料理上手な人の方が、その分特売品などを上手く活用できる可能性が高いということになります。
プロの料理人は良い食材を使って美味いものを作るだけでなく、手近にあるものを上手に使って美味いものを作れるものです。
賄い料理は食材の余ったものを使って作るものですが、家庭で料理する者としてはその姿勢や方法を見習うべきでしょう。
SDGsで子どもたちにもフードロスを無くす教育がされているようですが、
日々食事を作る親として、野菜の皮や芯の部分など普段捨ててしまうところなども上手く活用できるようになることで、
家庭でも取り組めることがあると教えるとともに、食費の節約にも繋がります。
野菜の皮部分には栄養価が高いものもありますから、貧乏くさいというイメージとは裏腹にメリットはたくさんあります。
ピンチをチャンスにと言いますが、今回の高騰をきっかけにしてみてはいかがでしょうか?
食材の扱いを知る上で、調理の技術向上も目的にすると日々の料理が単なるルーティンワークではなく、楽しみながら練習することができるようになります。
切れない包丁で千切りにしても切り口がボソボソで美味しくないですし、上手くできないので、
スライサーやピーラーなどの便利な道具についつい頼ってしまいがちですが、
ちゃんと研いだ包丁で切った食材は驚くほど美味しいものです。
切れる包丁は指を切りそうで怖いという話をよく耳にしますが、
個人的には切れない包丁で指を切るとノコギリで切ったときのように治りが悪いですが、
鋭利な刃物で切ったキズはきれいに早くくっつき、治りが早いように感じます。
包丁は料理人によって使う形状や種類はそれぞれだと思いますが、
うちのバンドのメンバーは料理人で、店で出すほとんどの料理を牛刀一本でこなすそうです。
家庭で一般的な三徳包丁は牛刀から生まれたという話もありますから、使いこなせば万能ということでしょう。
私も27cmの牛刀をたまに使いますが、まだまだ万能には使いこなせず、もっぱらかぼちゃを切ったり、パンを切ったりする用です。
我が家では夫婦それぞれの包丁があって、
私が主に使う和包丁は、
万能型、柳刃2本、菜切り2種類、薄物、むき物、マキリ
妻が主に使う洋包丁は、
万能型、牛刀、ペティ
となっていて、
妻は早朝子どものお弁当作りに使いますので、すべて錆びにくいステンレス製のものです。
家庭でわざわざ和包丁と聞くとピンとこないかもしれませんので、少しお話しさせていただくと、
まず、私が素人のくせにやたら本数が多いのは、
材料や技術練習による使い分けもそうですが、
毎日毎日は研ぐ時間を取れないので、
ある程度の本数を持っておくことによって、
出来るだけ使い分けて、それぞれの切れ味を長持ちさせることで、研ぐまでの時間を稼ぎつつ、一回の研ぎで数本まとめてやることができます。
和包丁に使われている鋼は錆びやすいので、洗いっぱなしで包丁入れに挿しておくとサビが浮くので、
お湯で洗ってよく水気を切り、数時間置いてから鞘にいれるようにしていますが、
たまにしか使わない柳刃などは油を薄く塗っておくようにしています。(食用油、サラダ油で大丈夫です)
万能型や菜切りは出番が多いので、酸化被膜によってもともと錆びにくい黒打のものを使っています。
鞘だけでなく、柄も自分で作って気軽に付け替えたりできるのが和包丁のメリットでもあります。
万能型1本だけだと、下ごしらえで千切りをしたあとなど、
包丁がまな板に触れていた回数が多ければ多いほど、
食前に刺身を引こうとすると、切れ味が落ちていてイマイチだったりします。
ステンレスだと鋼材が硬いのでそうそう切れ味が落ちないのでそういった問題にはなりにくいのですが、
私の場合、硬い鋼材だと研ぎに結構時間がかかるので、
今度でいいやとなりがちで、結局あまり研がずにハンパな切れ味でだましだましやってしまうので、
こまめに手入れが必要な柔らかめの鋼材のものを愛用しています(必然的に相方であるまな板も木製です)
鋼にも種類があり、一般的には硬めの鋼材の方が好まれるようで、
料理人は仕込み量もありますから、長く切れ味が持続するものが必要になってくるそうです。
アウトドアブームもあり、ナイフでバトニングするシーンを目にする機会も多くなってきましたから、
そういった意味でも現在刃物は、
硬い=優れているというイメージが定着しているのではないでしょうか。
日本古来の鉄というのは、炭素をほとんど含まない軟鉄だったそうで、歴史的建造物に使われている和釘などの鉄の再現は現代の技術ではとても難しいそうです。
かつて包丁鉄と呼ばれていた鉄と、鋼を合わせて作られる刃物は現代よりも柔らかいため、手荒な扱いには向かず、
柔らかいけれど良く切れるということから、
「甘切れ」と言われていたそうです(包丁屋さんによっては硬い鋼材でも甘切れと言っていたりと諸説あり)
そういった素材で出来ている鉈などは、なんでもかんでも振り回せばいいものではなく、使い手が木の性質を理解し、流れに沿って使うことが必要だったそうです。
一見使い手を選び、面倒くさそうですが、柔らかいということは自分でもメンテナンスしやすいですし、曲がりやすいが折れにくい、
折れなければ修理することが出来るという、柔軟性があるということは最大の長所でもあるわけですが、
炭素量が少ない安物、切れ味の鈍りが早いなまくら、そんな捉え方をされてきたのか、
すっかり見向きもされなくなったのが現状の市場を見ていればわかります。
親子2代、3代使えるものを家庭用として誰もが求めているわけではありませんから、
使い捨てを前提に考えれば、錆びにくく、なるべく研がずに切れ味が長持ちするものが良いとなっていきます。
現代ではひとつのもので色々できるものが便利で道具として優れているように感じてしまいますが、
長所と短所も使い手が理解して使い分けをする技術は経験が必要になりますが、
その不便さによって道具とともに人も成長できるような気がして、
私は年々歳を取るごとに、
「甘切れ」のほうが好きなことに気付きました。
昔の道具というものはとても大切にされ、
調子が悪くなれば修理し、最終的には材料として再利用され、もう一度生まれ変わるため、
実用で使われていた道具がそのままの姿で残っていることがあまりないと言われるのはそういうこともあるかもしれませんね。
道具に対しての接し方は人それぞれ、千差万別ですが、
なんだか道具も人も一生としてのあり方を考えれば、似たようなところがあるものです。
食材も道具も身近にあり、知っているようで、
よく調べてみると実は全然知らなかったことばかりで、本当に勉強になります。
ちなみに中華一番という漫画で七星刀のレオンというキャラが7種類の包丁を使い分けて調理するのですが、個人的にはとてもロマンがあり憧れます(笑)
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大型連休が明けたこともあり、感染拡大防止のため、なるべく屋内施設への外出は避けていましたが、
先日、次男が熱を出し、はじめて病院で抗原検査を受けました。
病院に行く前に子ども用の相談窓口に電話をして色々と話を伺いましたが、
小学生でもある程度の年齢になればひとりでホテル療養もあるとのことでした。
我が家では家族が多いので自宅療養は隔離が難しく、次男が陽性となれば年齢的に親が付き添う形になるだろうと覚悟してかかりつけの病院で検査しましたが、
幸い陰性で、念の為2日後もう一度検査して陰性だったので、血液検査もして問題なく、
熱が引いた後、発疹が出たことから結果として突発性発疹でした。
ちなみに発熱して陰性だった場合でも、家族内で発熱する人が出れば皆検査したほうがいいとのことでしたが、
我が家では他に発熱が無かったことで、早く状況が収まりました。
おたふく風邪とかそういった見た目で判断しやすいものならまだしも、
ただ高熱が出るという状態というのは検査で陰性とはいえ、可能性がゼロでない限り、家族内全員で警戒している状態が続いており、
妻の職場でも事情は説明して、陰性とはいえ念の為、状況が収まる数日間、休みをもらったのでご迷惑をおかけする形となり、大変な数日間となりました。
コロナ禍では子どものいる家庭は経済的影響もありますが、こういった事態で病気の本人も大変ですが、対応する家族も、家庭内や仕事において、
時間的な影響、精神的な影響をかなり受けますので、
共働き世帯は特に、相当子育てが難しくなっているのを改めて体感しました。
子育て世代での夫婦で共働きが定着していますが、コロナ禍においてはどちらかが休職し、
子育てに専念しておいたほうが子どもも様子見で休ませやすくなりますし、いざというときに病院などの対応もすぐにできます。
それでも小さい子どもがいるときは、親や上の子どもを病院に行くとなれば、常に連れて回らなければならなくなり、下手をすると家族間の感染拡大につながりますので、
普段務めている側も会社を休めるのならば休みを取り、
自宅待機側と病院に連れていく側で夫婦で分業した方が効率がよく、感染拡大防止にも繋がるため、結果としては状況の収束が早くなるように思います。
共働きでなくなると世帯収入が減り、そもそも生活できなくなる、
子育てに専念するために専業主夫(主婦)なんて前時代的だというイメージが強いことから、
なかなか前述のようなことは出来ないという方が多いように思います。
私は仕事を早朝から夜中までやっていた時期も、
子育てに専念して専業主夫のようにやっていた時期もどちらも体験している経験からいうと、
どちらも同じくらい大変で、自分の時間と体力が必要となってきます。
それは絶対に体験しなければ完全には理解できませんから、
コロナ禍を機会に、男性陣が子育てするきっかけにしてもいいのではないかと思います。
コロナ禍が収まるまでまだ数年かかるように思いますし、その間子どもが大きくなれば、
親の時間も段々と取れるようになってきますから、
その際改めて再就職を検討すれば良いのです。
(男女平等といってもまだまだ男性陣の方が再就職先が見つかりやすいのでは?)
その間次の出産時期があれば妻は育休を取り、
出産に専念し、夫は引き続き育児に専念してもいいですし、
夫婦でそのタイミングでポジションを入れ替えてもいいわけです。
お互いの立場を本当の意味で理解できていれば、その話し合いはそんなに大変ではないでしょうし、
片方の収入で生計が成り立っている以上、
生計の維持も難しくはないでしょう。
一番大変なのは共働きが推奨されている世の中で、
当たり前のように共働きしていての給料で、
ギリギリ生計を維持している場合、なかなか共働きをやめられないということでしょう。
FPをやっていて、私が家計を見直すときの最終手段のひとつが夫婦共働きで収入を増やす手段ですから
(急な出費によるやむを得ない借金の返済や家計を圧迫しているリボ等金利の高いローンの返済の際など)
最初からそれをやってギリギリの生計だった場合、
子どもはとてもじゃないがこれ以上増やせないとなるのは当たり前といえば当たり前かもしれません。
でも次の世代を増やさなければ、言い方は良くないかもしれませんが、
どんどん高齢化が進み、高齢者による高齢者のための社会になっていく一方です。
(選挙でどんなに若者が投票しても…)
人一倍という言葉がありますが、
人は人一倍誰のために苦労するのか。
人一倍次の世代に苦労することをしなければ、
人一倍自分達以降の世代が苦労することになります。
苦労するのと苦労させるのではまるで意味が違います。
人一倍どの世代が自分たちのことばかり考えているのか、
現状の世の中、これからの若者、子どもたちの大変さを考えれば誰だってよくわかります。
一生懸命ひとりひとりが働いて稼いで、
支払った(差し引かれた)税金は誰が何に使っているのか。
働くことは本当に偉いのか、すごいのか、当たり前なのか。
当たり前は誰かに言われたからなのか、自分でそう思っているのか。
義務なのか強制なのか、その違いはそれぞれの考え方次第ではないでしょうか。
一度きりの人生ですから動かされるのではなく、
動きましょう。
たとえ動いているつもりで動かされていたとしても、
いずれ気が付くときがきますから、
その時に方向を変えて動き続ければ、
経験になりますから決して無駄にはなりません。
共働きのご家庭は本当に夫婦の収入がなければ、
まったく生活出来ないのか、
時間の使い方と収入を得る方法はつり合っているのか、
5年後、10年後、20年後、
自分の出来ること、誰を幸せにするのか、
このコロナ禍をきっかけに、
もう一度、おかしいところはないか、
家庭内で「検査」してみてはいかがでしょうか。
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大型連休も終わり、これからしばらくコロナ感染状況の動向が気になるところですので、連休期間以上に、行動は慎重に行いたいと思います。
先日、山形に転勤した小学校からの親友と電話で久し振りに連絡をとったところ、
もう少しで子どもが産まれるとのことで、コロナ禍で結婚のお祝いもあげれていなかったこともあり、
出産に向けて頑張っている奥さんと、これから産まれてくる子どもの健やかな成長を願って、
山形の月山和久打刃物さんにお邪魔し、
色々とお話を伺いつつ、
縁起物としてマキリと小三徳包丁を購入させていただきました。
(一般的に昔から刃物には未来を切り開くという縁起物とされていますが、
ご家庭によっては刃物は縁を切ると考えてられるところもありますので、贈答品の場合は相手先に確認が必要です)
出産後落ち着いたタイミングで手渡ししたいのが本音ですが、コロナ禍ですから郵送となるのが残念ではあります。
山形でも年々打刃物をされているところは減っているということを伺い、
(別の同級生で親友の、おじいさんも昔は近くで打刃物をやっていました)
宮城県で本格的に打刃物をされている、
加美町の中新田打刃物さんにお邪魔させていただいた際は、
技術ももちろんだけど、まず設備や材料を扱うところが減少していることもあり、
代々受け継いでやっていくのも大変なのに、これから始めるなんていうのはまず無理だというお話を伺いました。
作る側がこれだけ大変な状況の中で、
一般家庭での使う側は、
ブランド志向、化粧砥ぎがされていかにも見た目良く切れそう、
あるいは安いものを使い捨て、
そもそも包丁はプレスの両刃のステンレス一択しかないと思いこんでいるくらいなぜか浸透している状況、
私自身色々と作り手のお話を聞かせていただいて、
ようやく気付いた部分も多々あり、
本当に日常当たり前のように使っているにも関わらず、何も知らないことが恥ずかしくもあり、
情けなく、申し訳なく本当に思いました。
少し思い返してみると、
私が小さい頃、ままごととんとんという、マジックテープでくっついた野菜を半分に切るという食玩が大好きで、
そこから一人っ子ゆえに、男なのに一人でままごとが好きという、当時からしたらとても周りに恥ずかしくて言えない趣味がありました。
レジに持っていくのが恥ずかしくて、
店員さんには妹が欲しいって言ってるってことにして!と祖母にままごとセットを買ってもらったのは今でも覚えています(笑)
当然今でも好きなので、娘にはマジックテープの野菜や果物を山程買って一緒にやっているので、
ようやくままごとが出来るようになったとも言えるかもしれません。
昔も今もセットに付属している包丁というのが、とにかく三徳洋包丁ばかりなので、
フライパンや鍋の形同様、記号のようにその形をイメージしてしまっていることも思い込みの原因かもしれません。
絵にかいてもらうとほとんどの人が同じ形になってしまうのではないでしょうか。
片刃の和包丁と聞くと、和食の職人が使うもので、
一般家庭で良いものとしてオシャレな方向に行くと、
日本の○○職人の○○鋼の○○層のダマスカス!といった牛刀やペティナイフを目にします。
更にいうと、これでもかというくらいボコボコの槌目のついたものもありますが、
私が打刃物屋さんに立ち寄った際に必ず1本買うようにしていますので、
数本愛用しているどれもかざせばわかるくらいの槌目はついていますが、
画像でもあきらかに目立つような槌目はついておらず、
ネットなどで販売されて目にするものの多くは、
本来の工程でつくものではなく、デザイン、見栄えのために後からつけたものです。
映えにお金を払うことに喜びを感じる人なら良いと思いますが、
日常的に使う人にとってその数万は違うんじゃないかなと思ってしまいます。
見た目重視が世の中に出回っているのは売れるから(売りやすいから)作っているのであって、
多くの人たちがその考えだから、
国内で手に入りやすい価格にもかかわらず、本当の意味で使いやすい包丁が手に取られず、
それらが海外で評価されて売れていっている状況になっているのだと思います。
地産地消といいますか、国内、もっと言えば地元の周りの良いものにもっと目を向けるべきで、
今のことだけ、今大変だから、後のことは考えてられないから後回しで、
どうしようもなくなった時に目を向けたって種を植え、育てることをしなかった結果、もうどうしようもなくなっている。
まんま今の日本の状況と全く同じ気がしてなりません。
私の尋ねた職人さんたちはただ商品として売るのではなく、
話を聞き、使い手にあったものを出してきてくれましたので、
そこには金銭のやり取りだけではなく、気持ちのやり取りがありましたので、
その道具にも思い出や愛着が湧くのです。
大事に使って子どもたちが大きくなったら譲るつもりです。
子どもたち、次の世代に受け継がせたいと思う身の回りの道具なんて、今の世の中ほとんどありません。
打刃物を取り巻く環境が厳しい中、私自身どのように役にたてることを出来るかは、ハッキリとしたことは現状言えませんが、
ひとつひとつ課題をクリアしていって、何かひとつでも貢献できることをやっていくために動いていきます。
私が思う理想形のひとつですが、毎日使うものだからこそ、その人にあったものをあるものから選ぶだけでなく、
作ってあげられたらどんなにいいだろうかと思うのです。
FPだからそう考えるとかではなく、自分で料理をしていて、既存の三徳包丁、万能包丁が使いやすいかといえばそうではなく、
愛着のある包丁を研いで、料理すれば食材にこだわらずとも何倍も美味しくなるものです。
材料費やレシピにこだわるのであれば、まず包丁を見直してみてください。
砥石さえあれば研ぐのはタダです。愛情が調味料を言われるのはそういったこともあるのではないでしょうか。
長女のオーダーで、先っちょぶつけたら痛いから、四角いかたちで!と言われたので切り出しで作ってみました。
不格好ながら片刃でスコンと心地よくとんとん切れるので、良い感じです。
次女のは右左の利き手がまだハッキリわからないので両刃にしてみました。
切るときは床か、身長が低く、机の高さがお腹より上なので、
包丁のアゴと呼ばれる部分は作らず、
真っ直ぐにしてみました。
現代の包丁の多くは立ちながらキッチンで使うことを前提に今の形になっていますが、
昔の日本の包丁は日本刀のような形だったというのが庖丁式という文化に残っていますね。
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新入生の学生や新社会人の方々はようやく休みで一息ついているというところではないでしょうか。
大型連休中はどこに出掛けても人が多くなってしまうので、私は直前に3回目のワクチン接種をし、副作用の休息期間と自粛を兼ねてゆっくりすることとしました。
熱は前回ほど出ませんでしたが、今回は肩がボールのようにパンパンに腫れて、今でもかなり激痛ですので、この期間にして大正解でした。
それでもヒイヒイ言いながらも今年の春やると決めていたキッチン部分の大掃除&DIYプチ改装は無事やり遂げました。電動工具様々です。
今年の大型連休は自粛の宣言が出ていないことから、我慢していた方々もようやく今年こそは!と動くと決めたことと思います。
周知の事実ですが、動けばコロナ感染者数は増える傾向がありますので、
出掛けたのでれば連休明け、
出来るだけ数日間だけでも、
自宅で自粛できるだけすることを心掛けるだけで、感染増加を食い止めることができるのではないかと専門家ではなくとも多くの人が納得できることだとは思います。
それをどれだけの人が頭でわかっていても実践するのか、というところでしょうか。
連休が終われば当然仕事や日常生活が始まるのですから。
当たり前のことといえば当たり前なのですが、
「したいことだけをして、
やりたくない、都合の悪いことは極力したくない」
ということをすれば、
どうなるのか、コロナ禍では顕著に数字となって表れているように感じます。
連休期間遊び回り、連休後自宅待機し、数日間は体調観察すべきかもしれないが、仕事があるから更に休むわけにもいかないし、そんなことはやってられない。
では、体調観察を自主的には行えないかもしれないから、連休期間は動くのをやめておこうとはなかなかならないのではないでしょうか。
少し大げさかもしれませんが、
「命を懸けてまで本当に今やりたいことなのか?」
とたまに子どもたちに言うことがあります。
例えば川沿いに散歩しに行ったとして、
暑い日だと子どもたちはどうしても少し入って泳ぎてぇ!となるわけです。
キチンと道具を揃えてきているのであればまだしも、普段着のままで川に入れば多少なりとも危険なことがあるわけですから、
「一回よく考えよう」と促すと、
テンションが上がっている子どもたちでも、
風が強いし、下の子が真似をしたら困るから、
やっぱり入るのはやめておいて、帰ってからビニールプールにしよう!となったりするわけです。
日常生活で起こるはずがない、起こってほしくないが、それでも起こる出来事、様々なことを見聞きしていますから、
当事者でなくても、それをいかに教訓にして活かしていくか、とても大切なことだと思います。
以前のコラムにも書きましたが、
横断歩道でドライバーに礼をするというのにも共通する部分がありますが、
そうやって日々低確率でもあり得る危険を、
自然に無理なく回避させてあげられるのが、
子どもたちに対して大人ができる工夫であるわけです。
やめろ!気をつけろ!だけでは何の理由の説明にはなっていないですし、子どもは結構大人たちの行動を観察していますから、
自転車での逆走、信号無視はまだまだ目にします。
注意してくる側の大人たちがやっているのに、
何で子どもたちはやっちゃいけないんだ?となりますから、
「大人の目線や都合」ばかりで世の中の生活を考えていてはいけないということです。
「大人の目線や都合」と書きましたが、
だいたいの場合「大人」と言っても一部の「大人」が決めたことが大半で、
世の中の全ての「大人」は文字で書けば、
本来年齢を重ねれば同じ「大人」なわけですが、
ひとりひとりの「大人」が、
「大人」の中身に関して、従うばかりではなく、
役割の意味や、責任について、
対等に、
よく考えるべき時がきているように思えるのです。
「したいことだけをして、
やりたくない、都合の悪いことは極力したくない」
休みの日やプライベートの時間では、
多くの人はこの考えではないでしょうか。
仕事となれば、その逆で、
「したいことだけをして、
やりたくない、都合の悪いことは極力したくない」
それを言えば、
子どもじゃあるまいし、そんなことでは社会人として務まらんし、
大人としてどうなんだ!と叱責されることもあるでしょう。
やりたくないことでも、会社としてこうなんだから従ってこうしろ!
みたいな会社はまだまだ多いのではないでしょうか。
ではそうやって我慢の結果身につけてきた、
「大人の対応力」は、
休みともなれば、どこへ行ってしまったのでしょう?
私が思うに、
全く逆の発想で生活すれば、「大人」としてもう少し良い世の中になるような気がするのですが。
自分がやりたいことだけを仕事とし、
(金のために仕事をすれば当然しなくてはいけないこともするハメになりますから、それを金=生活費のためと更に言うならまず生活から見直しましょう)
休日は普段できない苦労が伴うこと、
手間のかかる雑用を、家族でも社会のためでも良いですが、
皆のためになることを率先してやるようになれば、皆が笑顔で過ごせるように思えるのですが、
「子どもたち」からは最高じゃん!と言われても、
単なる理想に過ぎず、面倒臭い、馬鹿なことをと「大人たち」には笑われてしまうのでしょうか。
思春期に進路で悩んだ時期は誰にでもあるはずですが、それは自分の人生をどう「大人」になるべきか真剣に考えているからだと思います。
いつの時期から「大人」であることを考えることをやめたのでしょうか?
成人と呼ばれる年齢が変わりましたが、何歳だろうが、
「成る」こと自体に終わりはありません。
今回「大人」ワードを、
リフでゲシュタルト崩壊させてみましたが、
たまに私が使う思考法のひとつで、
作曲やアレンジするときにも使いますが、
凝り固まった概念を見直すのに結構使えますので、
気になった方は日常生活での言葉や行動に当てはめてやってみてください。
注)リフとは、音楽用語で繰り返し演奏されるフレーズのこと
ゲシュタルト崩壊とは、単語などを繰り返し考えていると何で?と意味が一瞬わからなくなること
[お知らせ:Amazonで発売中の電子書籍読んでいただきありがとうございます。読みづらい点が多々あると思います。お気づきの点がございましたらご連絡していただけますと、次回の修正点や改善点となりますのでよろしくお願いします]
