【2022/11】コラム
まもなく12月ということで、夜の気温はいよいよ1度なんて日もありました。
今年はタイヤ交換のピーク時期が例年より早かったそうですが、仙台ではそろそろ雪が降りだす予報も出ていました。
個人的には寒いのは昔から苦手でコタツから抜け出せなくのですが、
寒くなるとより美味しく感じるものもあって、温かい淹れたてのコーヒーは至福の時間です。
そんなコーヒーも値上げの影響を受けていて、普段買っているものもグッと高くなっていましたので、
ガバガバ飲むのではなく、一杯一杯をより大切にしようという気持ちになりました。
コーヒーの話といえば、寺田寅彦さんのコーヒー哲学序説の考え方が好きですので、この機会に一部紹介します。
コーヒーの出し方はたしかに一つの芸術である。しかし自分がコーヒーを飲むのは、どうもコーヒーを飲むためにコーヒーを飲むのではないように思われる。宅の台所で骨を折ってせいぜいうまく出したコーヒーを、引き散らかした居間の書卓の上で味わうのではどうも何か物足りなくて、コーヒーを飲んだ気になりかねる。やはり人造でもマーブルか、乳色ガラスのテーブルの上に銀器が光っていて、一輪のカーネーションでもにおっていて、そうしてビュッフェにも銀とガラスが星空のようにきらめき、夏なら電扇が頭上にうなり、冬ならストーヴがほのかにほてっていなければ正常のコーヒーの味は出ないものらしい。コーヒーの味はコーヒーによって呼び出される幻想曲の味であって、それを呼び出すためにはやはり適当な伴奏もしくは前奏が必要であるらしい。銀とクリスタルガラスとの閃光のアルペジオは確かにそういう管弦楽の一部員の役目をつとめるものであろう。 研究している仕事が行き詰まってしまってどうにもならないような時に、前記の意味でのコーヒーを飲む。コーヒー茶わんの縁がまさにくちびると相触れようとする瞬間にぱっと頭の中に一道の光が流れ込むような気がすると同時に、やすやすと解決の手掛かりを思いつくことがしばしばあるようである。
とありますが、
ご自身が、これがコーヒー中毒によるものではないかと疑いを持ち、1年以上断ってから改めて飲んでみた様子がこう書かれています。
この世の中全体がすべて祝福と希望に満ち輝いているように思われた。気がついてみると両方の手のひらにあぶら汗のようなものがいっぱいににじんでいた。なるほどこれは恐ろしい毒薬であると感心もし、また人間というものが実にわずかな薬物によって勝手に支配されるあわれな存在であるとも思ったことである。
スポーツの好きな人がスポーツを見ているとやはり同様な興奮状態に入るものらしい。宗教に熱中した人がこれと似よった恍惚状態を経験することもあるのではないか。これが何々術と称する心理的療法などに利用されるのではないかと思われる。
酒やコーヒーのようなものはいわゆる禁欲主義者などの目から見れば真に有害無益の長物かもしれない。しかし、芸術でも哲学でも宗教でも実はこれらの物質とよく似た効果を人間の肉体と精神に及ぼすもののように見える。禁欲主義者自身の中でさえその禁欲主義哲学に陶酔の結果年の若いに自殺したローマの詩人哲学者もあるくらいである。映画や小説の芸術に酔うて盗賊や放火をする少年もあれば、外来哲学思想に酩酊して世を騒がせ生命を捨てるものも少なくない。宗教類似の信仰に夢中になって家族を泣かせるおやじもあれば、あるいは干戈を動かして悔いない王者もあったようである。
芸術でも哲学でも宗教でも、それが人間の人間としての顕在的実践的な活動の原動力としてはたらくときにはじめて現実的の意義があり価値があるのではないかと思うが、そういう意味から言えば自分にとってはマーブルの卓上におかれた一杯のコーヒーは自分のための哲学であり宗教であり芸術であると言ってもいいかもしれない。これによって自分の本然の仕事がいくぶんでも能率を上げることができれば、少なくも自身にとっては下手へたな芸術や半熟の哲学や生ぬるい宗教よりもプラグマティックなものである。ただあまりに安価で外聞の悪い意地のきたない原動力ではないかと言われればそのとおりである。しかしこういうものもあってもいいかもしれないというまでなのである。
宗教は往々人を酩酊させ官能と理性を麻痺まひさせる点で酒に似ている。そうして、コーヒーの効果は官能を鋭敏にし洞察と認識を透明にする点でいくらか哲学に似ているとも考えられる。酒や宗教で人を殺すものは多いがコーヒーや哲学に酔うて犯罪をあえてするものはまれである。
現代のいくつかの問題にも当てはまり、
また考えさせられる内容でもありますので、興味がある方は青空文庫でも読むことができますのでいかがでしょうか。
お酒もスーパーなどの売り場でよく目にするのはアルコール度数の高い缶チューハイですが、
500mlの9%の場合、テキーラのショット4杯弱ですからお酒の弱い私が飲めば急性アルコール中毒で倒れるレベルかもしれません。
手軽に気軽に短時間で毎日飲めば身体を壊す原因にもなりかねません。
煙草も一般的によく知られる紙巻き煙草、最近は加熱式煙草の方が一般的かもしれませんが、これも一日に何本も吸えばやはり身体を壊す原因になるかもしれません。
余談ですが、江戸時代から始まった煙管では一回の喫煙に豆くらいのわずかな煙草葉しか使いませんから、ゴミはその僅かな灰だけですし、
5回か6回吸えばすぐ燃え尽きますので、ぱっぱと吸えたことから時間の消費も少なかったと言えます。
吸い方にしても、クラシックなパイプや葉巻、煙管などは肺まで吸い込まない口腔喫煙で味わうものとされていて、
肺喫煙は戦争中の兵隊が紙巻き煙草で短い時間でなるべく多くニコチンを接種するために始めたとも言われています。
私が若い頃はバンドの先輩から煙草のフカシはかっこわりーから肺までしっかり吸わねーと!と言われたものですから、
そういうものだとわかったつもりで25歳あたりまで吸っていました。
というわけで、どちらかといえば煙草が悪いというより吸い方の問題やマナーが良くないと思うのですが、
(紙巻き煙草の紙に燃焼剤などの添加物が入っていてそれが身体に悪影響を及ぼすという話もあります)
歴史を辿れば世界中で流行っては規制されまた流行るということは繰り返されているようです。
世の中で嫌われていることも調べると実生活に役立つ知恵になるものです。
コーヒーもお酒も煙草も嗜好品とされていて、たくさん儲けを出したい企業(国の税収も)は工夫して手軽に沢山消費してもらえるようにしますし、
広告やセールスのままに消費者が考えなしにハマってしまうと本人にとって適正な量を見誤ってしまいます。
お酒の一気飲みは無くなりましたが、前時代の「乱用」レベルがまだまだ世の中の常識の容量になってしまっているように思えます。
お酒にしろ煙草にしろコーヒーにしろ、
一人一日一本、一杯だけなら健康やマナーなどと大きな社会問題にはならないのではないでしょうか。
私の場合10年以上禁煙していますから、すっかり煙のニオイは苦手になりましたが、味やリラックス出来る効果は好きですので、
たまーに夜誰にも迷惑がかからないように煙管をくわえることがありますが、
一服したからと言って別に禁断症状が出るわけでも、ニコチンによる依存中毒で煙草無しでは生きていけなくなるわけでもありませんので、
コーヒーにしてもお酒にしても煙草にしても、そもそもの行為依存はありえますし、
もっと言えば嗜好品に限らず、
食事にしても外食三昧で好きな物ばかり食べていれば栄養は偏りそれによる弊害はあるでしょうし、
全ての事柄にはメリットデメリット、
過ぎたるは猶及ばざるが如しという言葉もありますので、
適度に嗜むというバランス感覚を持つことが大人として大切なことではないでしょうか。
何でもかんでも単純に0か1のデジタル感覚ではギスギスした世の中は良くなっていかないのではないかとも最近になり思えるようになってきました。
〇〇中毒なんて他人のことをとやかく言う世の中ですが、まず私たちも自身がスマホ中毒ではないかと疑いを持ち、気をつけなければいけませんね。
お酒や煙草はダメでスマホは大丈夫なんて10年経ったらわからない話ですから。
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先日幼稚園の発表会がありました。
長女は年長最後のイベントでこびとのくつやの劇をやることになり、私自身も幼稚園の頃こびとのくつやをやったので、とても楽しみにしていたのですが、
残念ながら行くことはできませんでした。
というのも、次女が風邪症状でしたので、仙台市の、フォームから取り寄せした検査キットをしたところ陽性反応があり、
同じ寝室だった私と妻と長女も続いて感染し、
寝室が別だった長男次男は感染を免れることができましたが、
すぐ陽性者サポートセンターへの登録をし、ガイドラインに従って自宅待機をすることとなりました。
検査キットで陰性確認するか、1週間自宅待機とのことで、
念のため長めに休みを取ることとし、発表会は休ませることとしました。
幸い幼稚園でライブ配信をしてくれていたので、自宅で長女も画面に合わせてやってくれたので、それだけ見られただけでも本当に良かったです。
ずっと感染対策には気をつけていましたが、結局感染してしまい、妻は仕事を休むことになり、職場の方々にはご迷惑をおかけすることとなってしまいました。
今回の我が家の場合ですが、同じ建物内でも寝室が一緒がどうかが感染の分かれ道になりましたので、
一緒にいる時間ということを考えると、普段からなるべく寝室を分けるというのも感染対策として有効かもしれません。
(早く二段ベッドを組み立てなければ!)
食料に関しては地震災害用の備蓄は役立ちましたし、仙台市では陽性者サポートセンターに登録し、条件があえば生活支援物資があります。
制度について質問で問い合わせたことがありますが、案内された専用のコールセンターでは一度目は無言が続き、
二度目は、たまたまそのオペレーターの方が不慣れなのか、
ひとつの会話に対して少々お待ち下さいと、都度誰かに聞きに行っているようで、要点が掴めておらず、
最後は結局15分かかっても明確な回答は頂けず、もういいです…となりましたので、
あえて引き伸ばしているのかと感じるくらいお粗末な対応に感じました。
なにより途中途中で名前や年齢、家族構成など聞かれる必要があるのかわからないことまで聞かれますし、その個人情報の取り扱いは大丈夫かと心配になってしまいます。
症状がある状態で、コールセンターに電話するのは相当なストレスになると思いますので、
元気なうちに制度はそれぞれお住まいの県や市のホームページで事前に調べておくことを強くオススメします。
ちなみに仙台市の検査キットはフォームに入力して、到着まで2日かかります。
そして陽性者サポートセンターに登録したあとも陰性かの検査をする場合、もう一度自身でフォームから取り寄せる必要がありますが、
2日続けてというのは出来ないそうですので注意が必要です。
今回基本的な感染対策を行っていても不十分ということが身を持ってわかりましたので、
さらなる対策を考えつつ、
普段の買い物についてもいかに回数を減らせるかなど基本的なところも見直すきっかけとなりました。
ウィズコロナという言葉がありますが、
親としてはそれは容認できないと改めて肌で感じました。
症状が軽くすめばそれはたまたまその時はラッキーというだけで、
子どもがいる家族を持つものとしては、誰がコロナになってもその感染力の強さから、まだまだ笑って過ごせるものではありませんし、容態が気になるものです。
例え元気だったとしても学校に通えず、授業を受けられないのは子どもとしては辛いものではないでしょうか。
ずいぶん前から東日本大震災の復興予算10年分をはるかに超えるコロナ対策費用と言われていますが、
現役世代ももちろんですが、その先の子どもたちにも何兆円背負わせるのか。
経済をいくら回してもその分増税されれば辛くなるのはやはり私たちではないでしょうか
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今日は国際寛容デーということですが、
寛容とは、
広い心をもち、他を受け入れることをいうそうですが、
世の中は寛容さからは程遠くなっているように感じてしまいます。
多様性、個性を、重んじる世の中ですから、
言葉だけで捉えれば寛容な社会じゃないかと思えなくもないのですが、
実社会はとにかく個の主張ばかりです。
解剖学で有名な養老孟司先生に言わせると、
個性なんて言ってられない戦時中は一億玉砕、滅私奉公で、
戦争で負ければ一転してマッカーサー万歳で、教科書の墨塗りを学校やらされたそうです。
さすがにそうとなれば戦後、気持ちの面で、
もっと個人を大切に、
個性を主張したくなる気持ちはわかります。
近年ではSNSによって発信しやすくなったことで更に加速したとも言えるでしょう。
自分の命は自分のもの
それは当たり前のことだと思っていましたが、
養老先生は、
本当に自分の命は自分のものでしょうか?
と。
自分の臓器を一生懸命育てていますか?
勝手に育っていて、
それは親から与えられたもので、
自分自身を自覚したときにはすでに自分の身体は存在していたでしょうと言われるのです。
本来は与えられている命と考えるべきなのかもしれませんが、
現代では自分の命は自分のものだと考えている人がほとんどではないでしょうか?
私もまだまだその内のひとりです。
私が私が!と自己主張ばかりしている間は寛容とは程遠い世界のままかもしれません。
同じ世代の意見ばかりに頭が傾いていても同じことが言えますので、
少しでも幅広い世代の考え方を知ろうと、
養老先生の本を読んでいるのですが、
戦後からの物の考え方、捉え方は私自身経験したことがないことはもちろん、ほとんど教わったことがないことばかりで、
親世代からすでに伝わっていないことがたくさんあるもので、今聞いておかなければ聞けないことというのは、
戦争のことだけではないということです。
日本の古典のひとつに方丈記がありますが、
養老先生いわく、これを読んでおけば世の中の大体が書いてあるとのことで、
ちゃんと読んだことがありませんでしたが、
読んでみると800年も昔から今と同じようなことが書かれていて驚きました。
800年以上経過していても人間の本質がほとんど変わっておらず、
コロナ禍をきっかけに少しでも人がいい方向に変わればいいなと淡い期待を持っていたことが無駄だということがよくわかりました。
かといって考えることをやめるわけではありませんが、
確かに皆一度は読んでおくべきものであると思いました。
教科書で何となくやったような気もしないでもないのですが、
私のように記憶にないという方は、
改めて読むのもいいですが、
YOUTUBEで現代訳の朗読されている方のチャンネルで聞くのもオススメです。
前半はかなり苦しい内容なのですが、
後半は私たちの生活のあり方について考えさせられる内容ですので、
そこにひとりひとりが感じる寛容についてのヒントもあるかもしれません。
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先日お昼のテレビで高校生が環境について考える特集が放送されており、
温暖化の影響ということで、プラを無くそうとか、
今までの世代が悪いからグレタさんのように若い世代が怒らなければいけないとか(上の世代だけを怒るのはちょっとと思いますが…)
高校生が一生懸命勉強してきた様子と内容が紹介されていました。
皆オシャレな髪色だなーと見ていましたが、
世代によっては若者が派手に染めているのを毛嫌いする方々もいらっしゃるでしょうから、テレビの視聴者層を考えたら、
それだけでもちょっと伝わりにくくなったかもしれません。
私自身もカラー剤にあまり良いイメージがなく、
というのも、妻は若い頃美容師でしたがカラー剤によるアレルギーを発症して、やむなく退職することになったという残念なエピソードを聞いているからです。
近年は環境負荷を減らしたカラー剤も出てきているようではありますが、
少なからず髪を染めることで水質を影響がないとは言えませんし、
ケアオイルなど、本来必要のなかったものまで消費するわけですから、
まず人間が生活すること自体が環境負荷と考え、身の回り、身近なところから減らす努力を目に見えることも含めて実践していかないと、
そこらへんでデモをやっているような言うだけの大人達と変わりないことになってしまいます。
(相手側にとって脅威にならないデモは暴走族の集会と何が違うのかわかりません)
では、教えている側、
環境問題で飯を食ってる多くの大人の方々、
内容がベタすぎるといいますか、
プラをやめて紙を使う、
石油資源をやめて電気を使う、
耳にタコができそうですが、
プラ容器に変わった耐水の紙容器は、
ポリエチレンでラミネートされているものが多く出回っていますから、
それもプラスチックを使っています。
ちなみにポリエチレンは食品を入れる透明の袋でも使われていますが、当然燃やせば水と二酸化炭素になるそうです。
そもそもプラスチックの代わりに紙ばかり使えばどうなるのでしょうか?
私が子どもの頃は木々を守るために紙を減らす試みがたくさんされていて、
地球資源を守るためにプラを使いましょうとしていたと思うのですが記憶違いでしょうか。
そして電気を作るには現状ではそもそも火力発電していますし、
バッテリーを作るにもレアメタルなどの資源が使われ、
原発を動かそうものなら、それこそ未来に向けて処理できないゴミを埋め続けることになります。
もちろん一歩間違えば放射能汚染が、大気中、海、土壌、地球上全てに悪影響が出ます。
今日本では地熱エネルギー利用を進めているところがありますが、
難しいとされていますが、火山がたくさんある日本ならではで、
こういったエネルギー活用にこそ国が支援するべきではないでしょうか?
上記の2点で共通して問題なのは、
「ゴミ」を出していることではないでしょうか。
プラゴミの海洋汚染からプラが良くないとなってきた風潮のように思いますが、
果たしてプラ自体が悪いのでしょうか?
どう考えても使っている側の人間でしょう。
近年キャンプなどゴミのマナー問題をよく耳にしますが、
世代、規模うんぬんに関わらず、身の回りでまずゴミを正しく処分すること、
そして素材に関わらず、そもそものゴミを減らす努力が出来ているのか見直す必要があると思います。
便利だからと使ったら使いぱなしではいけないということです。
私はゴミを減らす試みとして、最近身の回りのもので、
ピーラーとT時カミソリを変えました。
ピーラーは今まで使っていたニトリのピーラーからビクトリノックスのピーラーにしました。
ニトリのピーラーは手頃な値段でスムーズに剥くことができるので使いやすかったのですが、
ビクトリノックスのピーラーは極薄に剥くことができるので、皮剥きのゴミが半分以下になりました。
皮付近の栄養価が高いとされている野菜も栄養分が薄く剥けた分残りますので、健康面でも良いといえそうです。
T時カミソリは肌に優しいとされている5枚刃の使い捨てタイプを使っていたのですが、
つどつどゴミになりますし、交換費用もそれなりにかかりますので、
クラシックな一枚刃の両刃タイプで刃の部分だけ交換できるものにしました。
刃だけですのでほとんどゴミになりませんし、交換費用も相当安くなりました。
切れ味が相当鋭いので、肌を切らないように剃る技術と慣れが必要ではありますが、
5枚刃や6枚刃では体感できないほどツルツルになり、気持ちが良いものでしたので、
刃が多ければ多いほど良いと思っていたのは単なる思い込みだと気付かされました。
環境対策にこれといった答えはないと思いますので、個々で独自に考えてやれることを少しずつやることが、
立派なことを言って他人にわからせようとするよりもよっぽど確実なことです。
経験上、わからない人にわからせようとしても、
暖簾に腕押しになることが多く、
ちょっとでも気にしている人は自然と少しずつ吸収していくもので、レベルが上がっていくものです。
何でも言われてやるのではなく、自分でしないと長続きはしません。
人間誰しもそういうものだと思います。
いずれにしてもどこからの情報でもって環境が良くなると考えているのか、一度立ち止まって本当にそうなのか、よく考えてみる必要はあると思います。
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小学校の音楽発表会も無事に終え、ハロウィンの振替休日ということで、子どもたちと秋保大滝に紅葉を見に行ってきました。
木々の自然な紅葉は目の保養になりましたし穏やかな気持ちになりました。
対してテレビで映像が流れていましたが、韓国で群衆事故があったばかりだというのに、渋谷では例年通り仮装行列で賑わっていたようです。
妻はハロウィンは子どもがやるから可愛いのにな〜とこぼしていましたが、私も同感です。
ハロウィンやクリスマスは子どもたちが楽しんでいる微笑ましい姿を見て大人は楽しむといいますか、
子どもたちが主体のイベントを大人が同じようにやって、盛り上がり、まるで保護者のような警察官に誘導されている姿を見ていると、
大人の姿をした子どもが増えたのだなと思えてしまいます。
現在の感覚で、一昔前の暴走族の集会など今見ると恥ずかしいことをやっているように見えますが、
10年後の若者には今のハロウィンの渋谷の映像を見てどう思うのでしょうか。
我が家の子どもたちいわく、小学校ではまだまだコロナ感染者がたまに出ますから、
感染対策として外遊びが制限されていて、自由にサッカーをしたり鬼ごっこをしたり出来ないため、不自由な休み時間を過ごしているのにも関わらず、
いい大人がイベントでわざわざ特定の箇所に人が集まって騒いでいること自体がとても腹立たしいそうです。
成人の年齢が引き下げられましたが、精神年齢は果たしてどうなのかと考えさせられます。
個人的に子どもの成長は親や学校での教育が半分、
もう半分は周りの友達や環境に影響されると考えていますが、
SNSによってより環境に左右されがちな世の中になって言っていますから、
子を持つ親としてはSNSに負けないようにしっかりと教えていくべきところは押さえていかないと、皆が良いと思っている物が正解となってしまいます。
そういう親としても日々便利な暮らしに身を任せ、ついつい何も考えずに惰性で生活してしまうと、
その自分自身が当たり前の状態になってしまい、考えが独善的になってきてしまいます。
所ジョージの世田谷ベース50号はトコロ辞典がテーマになっていて、
その中の落とし穴という解釈が正にそのまま当てはまる内容で、
「失敗を恐れず、自分の感覚で、なんでもやってみることが、センスを磨くって事」
読んでみると自分には無かった発想ばかりで、所さんは自分の親くらい歳が離れていますが、スッと言葉が入ってきて、
うーん。考えさせられるなぁって思うことがたくさんあります。
今の子育て世代に読んでもらいたい内容になっていますので、書店で見つけたらぜひ手にとってください。
立ち読みできる字数ではありませんので、自宅に置いてちょくちょく読み返すのもよし、
それこそ、子どもと一緒に読んでも楽しいと思います。
旅や旅行はたしかに楽しいですし、人の感覚を養うきっかけになるかもしれませんが、
人の話を聞くなり、本で読むなりすることも大切な人生経験です。
今はまだグッと蓄えて、
紅葉のように色とりどりの感覚や発想を身につけておくことで、
コロナ収束後に幅広い物の見方が出来、
見えなかったものが見えるようになり、
感じることが出来るようになってから、
旅行や旅をするというのも良いものではないでしょうか。
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